退職勧奨を受けたときの話 その①

ブログ内の管理人プロフィールにも書いたが私は今までに5回の転職、そのうち2回は退職勧奨を受けての退職と幸薄いサラリーマン人生を送ってきた。

リストラとは微妙に異なる退職勧奨。
今回は最初に受けたその退職勧奨のことを記事にしてみようと思う。
いかんせん大昔のことなので記憶が曖昧な部分もあるがそこは気にしないでおこう。

 

第1章 求職編

今から遡ること20年程前、当時20代で無職だった私は何のあてもないまま上京するという暴挙に出た。

東京に行きたかったわけではない。
ただ、地元の片田舎では仕事が見つからず「東京に行けばなんとかなるんじゃね?」くらいの軽い気持ちだった。

上京後、すぐに転職活動を始めるも当時は今ほどインターネットが普及しておらず、PCを持っていなかった私は週に1~2回インターネットカフェでの求人検索と毎週発売される求人誌で主に転職活動を行っていた。
そんな中、東京に来てしばらくして留学斡旋会社の求人を見つけた。多分求人誌だったと思う。

 

私は前職を退職してからしばらくフラフラしていた時期があった。
その間、海外に行き現地の語学学校に通って英語を習っていたような気もする。

「留学と呼べる程でもないが一応海外経験がある。そこを強みとしてアピールすればイケるかも」
中学生でも思い付きそうな浅はかな考えだったが応募するしかないと思い速攻で応募した。

 

なお、海外の語学学校に通っていた時は外国人の友達もでき、毎日楽しく過ごしていたが周りは何を言っているのかサッパリ理解できていなかった。当然のように英語は大して上達しなかったのは言うまでもない。
語学留学なんてそんなもんです。

 

応募後しばらくして書類選考を通過したと連絡が来た。
それに伴い、会社説明会&面接を行うので来社して欲しいとのことだった。

無職だったので時間はあった。
有り余る時間を使って面接の対策を立てたりすることができたのは少なからず有利に働いただろう。

 

説明会&面接当日、一通り会社説明をしてもらいいくつか思うこともあったが、小心者の私は質問をすることもなくそのまま面接へ。
面接は社長対応募者4〜5人の集団面接。

面接の内容は覚えていないが「中途採用で集団面接かよ」と心の中でツッコミを入れたのは今でも覚えている。
しかも面接はこの1回だけだった。

数日後、晴れて留学カウンセラーとして採用が決まった連絡を受けた。
会社も私の留学もどきの経験に期待した部分もあったと思う。
結果的にはその期待に応えることは一切なかったがそこは気にしてはいけない。

会社説明会&面接のときにあった疑問点は気になったままだったが無職の私に選択肢は無い。
あまり深く考えずに入社することを決めた。
これでようやく無職とサヨナラできることとなった。

東京に来て1ヶ月も経っていなかっただろう。
「やっぱ東京ってすげー」
心からそう思った。

 

第2章 入社編

入社初日、緊張しながら出社した記憶がある。そして面接会場だった本社とは違う支店に配属となったため、道に迷って初日から遅刻しそうになった記憶もある。
初めての転職による初出勤となれば緊張するのは当然だろう。そして道に迷うことも。

私以外に2名の同期入社がいた。
私よりちょっと年下と40代のベテランさん。
3人で一通り入社の挨拶をしたあと諸先輩方から話を聞くとどうやら2名は前週入社、もう1人は前々週入社と社歴の浅い社員が多かった。もちろん社歴の長いベテラン社員もいたが数は少ない。

これには訳があった。
この会社は基本的に入社してから3ヶ月間の試用期間中に200万円の売上を達成しないと正式に本採用されない。
即ち達成できなければクビとなる。

会社説明会のときにこの件に関しても説明はあったがクビになるとは言っていなかった。
と思う。たぶん。

「会社としては十分なトレーニングを行う。それでも達成できないのは個人のスキル不足が原因」
これが会社のいい分だったような気がする。

私が入社の挨拶をしたあと2名が退職の挨拶をしていたのはこの制度のせいだったのだろう。
週単位で社員が入れ替わる。
出社初日からヤバい会社かもって思うようになっていた。

 

第3章 実践編

実際にカウンセラーとして業務を行う前にやることがあった。
それはマニュアル、いわゆる営業トークの丸暗記となる。
もちろんカウンセリングなんてマニュアル通りには行かないがそれを軸に実践しろとのこと。
入社して最初の週はひたすらマニュアル暗記をしていた記憶がある。

 

2週目からいよいよカウンセラーとして実践デビューすることになった。
オフィスには私を含め10人近くカウンセラーがいたが各々どうやって顧客を獲得するのか疑問に思っていた。

なお、これが面接のときに気になっていた点の1つとなる。

しかしその疑問はすぐに解消された。
なんてことはない。新人はテレアポだった。
この時点で正直「終わった」と思った。

当時の留学はと言うとまだインターネットからの申し込みではなく電話や留学雑誌に付いている資料請求のハガキを送って資料を請求、その後にカウンセリングを複数回受けて内容に納得が行けば契約という流れが一般的だった。

この会社はその資料請求のハガキに目を付けていた。
過去に届いた資料請求のハガキを束で渡され片っ端から電話をさせられた。

新規に資料請求やカウンセリングを希望して来る人は留学志向が高い。
そこに新人を当て込んでカウンセリングがうまく行かずに顧客に逃げられれば会社として損失となる。
なのでそこは実績のあるベテランに担当させて確実に契約を取る。
これが会社のやり方のため新人は新規顧客を担当させてもらえない。あくまでも資料請求のハガキを軸に自分で開拓しなければならなかった。

会社の説明によれば「過去のこととは言え資料請求をするくらいだから留学に興味があるはず。当時は事情があって行けなかったが今なら行ける人や行きたいと思う人がいるかもしれない」とのこと。

一理ある。
しかしいざ自分がそれを実践するとなるとキツイ。
テレアポというものがいかに世の中から嫌われていることか身をもって知ることが出来たと思う。

 

そもそも私は電話に苦手意識があり友達とでさえ必要以上に電話したいと思わない。
そんな人間にテレアポは務まらない。務まるわけがない。
電話に出ないと一安心、出たら「うわ、出やがった」と思う日が続いた。

当時は今ほど携帯電話が普及していたわけではないので資料請求のハガキには固定電話の番号が書いてあるほうが多かった。
しかし平日の昼間に家の固定電話に出る人は少ない。

そこは会社も理解していたためカウンセリングの予定がないスタッフは昼間は街に出てチラシを配ったりテレアポのロープレなどもしていた。

そして基本的に夕方から22時までが電話タイムとなる。
22時にこんな電話もらったって迷惑でしかないだろうがお構いなし。嫌がられながらも連日電話をかけていた。

テレアポを始めてから1〜2週間経つと同期でもポツポツとアポが取れるようになってきた。
もちろん私はアポが取れない。
焦りだけが募る。

と同時に諦めの早い私はすでに終了モードに突入しており、いつ退職しようか考え始めるようになっていた。

そんな中、カウンセリングを始めて3週間目で奇跡的にようやくアポが取れた。
相手は30代の女性だったと思う。

「30代で語学留学とか遅くね?」とツッコミ入れたくなったがカウンセラーとしてそんなことは言えない。

相手の要望や不安を聞きながら自分の経験も含めて留学の楽しさやこの会社を通すメリットなどを余すことなく伝えて最初のカウンセリングが終了。

だいたい1回のカウンセリングで決まるものではないので2回3回と重ねていくのが一般的だが残念ながらこの時は2回目のカウンセリングが行われることはなかった。

 

結局、1ヶ月目はアポ1件、契約0という史上最低レベルで終えることとなる。
因みに同期2人のうち1人は1件契約が取れていた。もう1人は覚えていない。

 

第4章 退職編

そして1ヶ月目が終わろうとしていた頃、急に上司からランチに誘われた。
今まで一度もランチに誘われたことなんてなかったのに。

その時の私はテレアポのストレスにより胃の調子が悪く食事が取れないほど弱っていた。
その旨伝え、丁重にお断りしたかがしつこく誘ってくる。

「あぁ、なんかあるな」と察した私は覚悟を決めて同行することにした。

 

話の内容は詳しく覚えてはいないが「もうすぐ1ヶ月になるけど仕事はどう?」から始まり、最終的には「この仕事向いてないんじゃない?」みたいなことを言われたことは覚えている。

いろいろ言っていたが平たく言えば「あと2ヶ月で200万円の売上はムリじゃね?」「だったら今のうちに辞めるのもアリだよ」とこんな感じ。
優しく言ってはいるが、要するに「今月で辞めろ」と言うこと。

「1ヶ月かぁ」
早いとは思いつつ自分の中でもいつ退職しようか考えていたのでその場で了承し入社1ヶ月で退職することが決まった。

その日の夜だったと思う、オフィス内に私が退職することが発表された。

 

同期入社の1人である年下君は残念がってくれた。
この同期はすごくいい奴で頑張り屋だった。
本人は「せっかく入社したんだから3ヶ月で200万円のノルマは絶対に達成する」
「そしてクビではなく自分の意志で会社を辞める」と豪語していた。

実際、3ヶ月で200万円はクリアして翌月に退職している。有言実行のすごい奴だと思った。
その後、風の噂で香港の会社に転職したと聞いた。
今はどうしているのだろうか。ちょっと気になった。

 

営業職としてこの成績では退職勧奨を受けても仕方ない。
晴れて無職againとなった私はまたイチから転職活動を余儀なくされることとなった。

こうして私の新しい会社での仕事は突然にそして意外なほど呆気なく終わりを迎えることとなった。
忘れもしないある夏の暑い日のことだった。

 

ちなみにこの会社のことは履歴書や職務経歴書には書いていない。
年金も保険も加入してないからいいかなって思っている。
なんか言われたら「バイトでした」と言い張ることにしている。
多分バレないけど。

 

第5章 番外編

自分で書いておきながら読みかえしてみると退職勧奨の理由はただ単に自分の実力不足が原因だったのではないかと思える。
実際そうだった部分も多々ある。
会社は悪くない。

同じ条件で始めて200万円のノルマをクリアした人はいるので自分のやり方が悪かったのだろう。そう思われても仕方ない。
しかし、自分を擁護するわけではないがこの会社はヤバかった。

どんな風にヤバかったかと言うと

  1. 社会保険に加入していない
    ブラック企業の基本である。
    3カ月のノルマを達成したら加入できたのかもしれないが試用期間中は未加入だった。
    ・年金?払っていません。
    ・保険証?発行されていません。
    すぐ辞める人が多いから会社も手続きなんかしていられないのだろう。
    イヤ、しろよ。
  2. 1日11時間勤務で残業代は一切出ない
    これもブラック企業の基本だろう。
    200万円のノルマを達成するために毎日22時まで電話させられる。
    出社時間は10時だったような気がするから1日11時間勤務となるが残業代は出ない。出るわけがない。
    期待してもいけない。
  3. 履歴書のコピーを裏紙として使用している
    丸暗記するマニュアルは裏紙を使用して作成されていたが、その中に入社希望者の履歴書のコピーが紛れていた。
    家に持ち帰って丸暗記するマニュアルに個人情報の塊である履歴書を裏紙として使用するとはいかがなものか。
    当時は今ほど個人情報に対してうるさくはなかったがそれにしても扱いがヒドイ。
    自分の履歴書も裏紙に使われた可能性があるかと思うとちょっと怖い。
  4. 就職をエサに留学させようとする
    これも裏紙の使用されていたマニュアルに書かれていたことだが、入社試験に落ちてしまった人に向けての営業となる。
     
    今回は残念ながらもう1歩のところで不採用となってしまったが、ポテンシャルは評価している。
    このまま不採用となるのは会社としてももったいないと思うので3ヶ月間で50万円の留学カウンセラー養成コースを受けてインターンとして海外で働いてもらえれば帰国の際にカウンセラーとして採用します。と、こんな感じの内容だったと思う。

    要は「50万円でこの会社に就職できる権利を買え」と言うことだろう。
    もちろん航空チケットや現地での滞在費は別途かかるので実際の費用は100万円くらいになるのではないだろうか。

    それでも就職が確約されるなら参加する人もいただろう。
    200万円のノルマのことも知らずに。

    コースの詳細は知らないが現地でのインターンと言っても雑用程度でしかないだろう。
    100万円払って何も得ることなく帰国、そのままノルマを達成できずに元を取ることもなくクビになる人がいるかと思うと残念でならない。

  5. NPO法人との癒着
    この会社は同じオフィスの中にNPO法人が事務所を構えていた。
    何かと言うと「留学希望者をサポートする」ことを目的として設立されたNPO法人だった。

    入社当時、「こっちのデスクの電話には絶対に出るな」と念を押された。
    電話が掛かってくると自称NPO法人の職員が電話に出る。いないときは切れるまで鳴りっ放し。
    話の内容までは分からないが、電話を掛けてきた留学希望者の質問に答えたりアドバイスをしていたのだろう。
    そして最終的には私がいた会社を紹介しカウンセリングを受けるよう促す。
    そしてそのアドバイス通りカウンセリング希望の連絡をしてくる。
    と言う流れになる。

    そもそも企業とNPO法人が同じオフィス内にあることがおかしい。
    しかもこのNPO法人が紹介する会社は私がいた会社だけ。
    この職員は会社の社員だったのではないだろうか。また、オフィスの賃料を負担したり何かしらの金銭授受があったのではないかと勝手に推測している。
    下っ端の私にそのような内情を知る由もない。

    しかし、この件以来非営利団体であるNPO法人と言えども疑いの目を持つようになったのは言うまでもない。

  6. 資金流用
    これが1番ヤバい案件となる。
    私が退職してから数年後、この会社のことがニュースになっていた。顧客から支払われた学費や滞在費が学校やホームステイ先に支払われておらず、学校に入学できなかったり退学処分になったりホームステイ先から追い出されたりと各地でいろいろと問題が勃発したもよう。

    資金はオフィスの賃料や社員の給料に支払っており学校やホームステイ先には後回しになっていたとのこと。
    中には事前に数百万円と言う大金を振り込んでいた人もいたようだ。
    もはや自転車操業となっていたのだろう。
    多くの人が被害に遭われたようで心が痛む。

    結果的にはこの件をきっかけに経営が行き詰り「倒産」と言う形で幕が下ろされたようだ。
    後に会社に対して被害者の会ができたようだったが賠償はされたのだろうか。
    たぶん泣き寝入りだったのだろう。


当時、もし今のように簡単にインターネットで情報収集できたり、企業の口コミサイトなどがあったら私はこの会社に入社していなかっただろう。

ただ、1ヶ月で退職したことでタイミングよくすぐに次の会社に転職できた。

もしこの会社に入社していなかったら。
もしこの会社で意地になってもう少し頑張っていたら。

もしかしたら今とは違う人生を送っていたかもしれない。
今となってはこの会社を1ヶ月で退職できたのは良かったのだろう。諦めの早さが功を奏したケースとなる。
そう思える今現在でよかったと思う。


以上が20代で最初に退職勧奨を受けた時の話となる。

大した話ではないかもしれないが自分の中ではいろいろと衝撃的だった。

後に30代で2回目の退職勧奨(というよりリストラかも)を受けることになるがそれは別の機会に記事にしようと思う。

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